からしましょうか。ぼく、就職活動は全滅やったんですよ。大学入っても、ぜんぜん勉強せんかったもん。親父のコネで印刷会社にもぐりこんだけど、8時半から仕事が始まるのに、8時29分にくる社員やった。3年でやめて、福岡県にある金融関係の会社に転職。これも、人を幸せにする仕事と違うなあと思って、1年でやめた。26歳で大阪戻ってきて、やることもないからぷらぷらしていたら、税理士やってた兄貴から「おまえ、お好み焼きでもやれ」と言われて、「まあ、それもええか」と。親父から900万円借金して、始めてみたら、ものの見事に半年でつぶれた。理由ですか?毎日のように友達が誘いにくるんです。「麻雀しようか、飲みにいこうか」って。それで、店をとっとと閉めて、遊びにいく。今考えたら、まともに商売になるはず、あらへんね。
性懲りもなく、もう一回お好み焼屋やったろ、と思った。でも、大阪はあかん。友だちだらけで、また失敗する。それで、一人で東京へ出てきたんです。大手お好み焼屋チェーンでバイトしながら、ノウハウを身につけた。同時に物件探しをしたんやけど、これが大変。当時は26歳の若造に貸す物件なんてない。困り果ててたら、たまたま通っていた雀荘で知り合った人が、とてもええ人で。ラッキーなことに、その人の縁で、物件を紹介してくれたんです。今から25年前、27歳の時。原宿に「お好み焼 ”TEN”」を出店。最初、TENは「10」という意味やった。当時、オリンピックの体操で”ル−マニアの妖精”呼ばれる選手が、10点満点を連発しとった。それをテレビで見ていて「10(テン)」ってええやん、と。そのうちに、TENは「天」のほうがええなと思うようになって、「天」といえば「星」やろ、と。それで社名が「テン・スターズ」。ちょっとええ加減やな。
オープンはしたものの、最初はさっぱりお客さんが入らんかった。当時はランチもやったりしていて、途中でご飯切らしたり。しょうがないから、向かいの新聞配達所に行って「すんません、ご飯分けてくれませんか」って。もう、めちゃめちゃですわ。そんなこんなで、メニューと食材とかいろいろ試したりして1年ほどしたら、夜に来てくれるお客さんが増えてきた。芸能人とかも混ざるようになって、賑やかになってきた。ちょっとずつ儲かり出したんです。業態もお好み焼から”鉄板焼”へと変えていった。8年目かな、現副社長の花崎が入社して、2号店をオープン。これが大ヒットで、調子にのって3号店も出店。その頃は、毎晩のようにお客さんたちとカラオケ遊び。「毎日金払うんやったら、自分らでカラオケ屋やろうか」と盛り上がった。「よっしゃ、やってまえ」言うて、5000万円銀行から借りて店出したら、1年後にバブルがはじけて。パーですわ。
それでも、本業の鉄板焼は何とかなっていたので、地道にやり直しました。バブルの傷も癒えてきた2000年に、スタッフが中華をやりたいと言うんで、自宅を担保に銀行から1億円借金してオープン。そやけど、どうにもうまくいかない。中華は料理人が強い世界。ホールとの連携がけっこう難しかったんです。なんとかみんなでがんばって、3年かけて黒字にしました。調子づいて2号店もオープン。そこで、こけた!また、やってしまいました。ぼくがマネジメントをおろそかにしてたのがアカンかったんです。とりあえず、1店舗目を閉めて、2店舗に全力投球することに。今では、チームワークがとれたいい店になりました。社員への投資と思ってやってみたけど、ああ、ぼく自身、きちんと人を採用して育てていかないとアカンなあと思いました。1億円はおじゃんやけど、ええ勉強になったなあ。